6月13日(土) クーリエ・ジャポンの春樹
書店では品薄状態が続いていて、「DSライトやたまごっちのように」飢餓状態になることによって、より購買意欲を煽ることになっていると紹介されていました。それらと同列に並べられちゃうんだ~。なんかなあ。
今回は事前にタイトル以外の情報が一切出なかったことで(『海辺のカフカ』の時に、先入観なしで読みたかったという読者が多かったため)、ファンの間での盛り上がり方はすごかったと思います。久しぶりの長編だし。小説に出てくるヤナーチェクのCDやチェーホフの小説までも、売れているという……すごいね。
しかし、いまや「バカ売れ」ということに反応した固定ファン以外の人々がこぞって買い求めることによって、社会現象と化してきました。
新聞広告で、週刊誌「女性自身」の見出しに「読まずに知りたい!『1Q84』」というのを目にしたときはさすがにぎょっとしました。
読め!!!
読まずにわかるかーい。
でも、子どものクラス親睦会の時に、「本が好きなんですか?どんな本読むの?」と尋ねられて、「今は村上春樹の新刊を読んでいます」と答えたら、やっぱりこういう質問が。
「どんな内容?」
読んでみたらいいんじゃないですか。そんな、一言では言い表せない。天吾や青豆やふかえりという人が出てきて、リトルピープルという人でないものが出てきて、カルトの話で、性描写が多くて、ある意味ファンタジー小説です……意味わからないよね、笑。
「村上春樹を読んだことがなくて、いきなり読んでも平気?」
うーん。平気じゃないかも。日本語としては読めるし(当たり前だが)わかりやすい。読者に対して一定のサービス精神が旺盛な作家なので、そういう意味では誰にでも読めると思うけれども、独特の世界観があるので何とも言えないなあ。
読んだことがない人には、たいてい『ノルウェイの森』を薦めていますが、春樹文学の中で『ノルウェイ』が標準かというとそういうわけではないのでね。ティーンズにだったら、初期のねずみ3部作か短編集を薦めるかもしれないし、ある程度量を読めそうな本好きの人にだったら『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』あたりは読んでもらいたい。
どうなんだろう、こぞって『1Q84』を買い求めた春樹フリークでない読者が、この物語をどんな風に受け止めたのかが知りたいですね。ここから入っても楽しめましたか?
私と話をしたママさんは、「軽い小説ならいいんだけど、暗い本はもう読めないなあ。日常の生活を、<妻>として<母>として明るく楽しくしていかなくちゃならないから、本の世界に引きずられてトリップしちゃうと困るのよねえ」としきりに言っていました。
「そういう意味で、読んでも大丈夫かしら?」
知らんがな、笑。
日常にあまりフォーカスできていないボクに訊かないで。宇宙人だから。
雑誌クーリエ・ジャポン7月号の、村上春樹インタビューがおもしろかったです。
国内メディアには露出の少ない春樹先生、スペインの記者のインタビューには答えます。いやあ、この人、改めて変わっているわ。
日本のメディアを避ける理由について尋ねられて。
記者――それは日本とあなたの愛憎関係に対する一種の復讐なのでは?
春樹 メディアに出る義務がないだけです。必要性もないし。僕は作家だし、文章を書くのが仕事です。
――でも海外では出ていますよね。
春樹 僕はいちおう日本を代表する作家ということになっているし、求められれば「日本の作家」として最低限の発言をします。こういう風に。文化というのは「顔」を必要とします。そして文化の交流というのは大事なことです。だからこれは一種の責務だと考えています。でも日本国内では、そういう責務はありません。
……なんか腑に落ちない。後付けみたいな気もしますが、ま、いいか。
春樹の偏屈ぶりはかなりのものだと思うけど、作家やアーティストというのは平凡な感性とは違って、独自の輪郭の凸凹をしっかり持っているものだから仕方がない。こんな風に言い切れたらいいのだけど、私なんかは小心者だから、価値観が一般のレベルからずれているくせに人間が怖いので波風立たないように、ヘンなところで神経をすり減らしてしまう。
いいな、春樹先生。こういう在り方が許されていて。(苦労もあるだろうが)
ほかにもいろいろツッコミどころ満載のインタビューで(本人はいたって真面目なんだろうけど)、おもしろいですよ。三島由紀夫嫌いの話とかね。
メディアにあまり露出しないから、たまに出てるとすぐに飛びつくこのはずく。
この記事へのコメント
ただ、私としてはこういう春樹のあり方、好き。メディアというのは基本的に品性のないものなんですよ。「読まずに知りたい1Q84」なんてのは典型例です(笑)
メディアというのは良きにつけ、悪しきにつけ、平均化の道具みたいなものです。世間の一般的な価値観の中でならされてしまうと、個性がつぶれて平坦になってしまう。メディアを拒絶しているからこそ守られるものも私はあると思うのだ。
ついでに、今私は春樹の翻訳文学を読んでます。ティム・オブライエンらの短編を原典と翻訳で読めるというなかなか良い試みです。ハイ・ブリットと称してシリーズ化されてるようです。興味のある方はご一読を。
責務、ないことはないよね。文化の「顔」としての責務はないかもしれないけれど、「日本の中で独特の個性を持った作家として発言する責務」とかね。
顔ばれして、道を歩いてる時に知らない人に話しかけられたり、トンチンカンな質問を受けたりするのが、単純に嫌なのではないかしら。あと文壇的しがらみから自由でありたいってのはあるだろうなあ。わけわからない人いるし。「お前を見ていると殴りたい」という人とか、笑。
インタビューの最後、「小説家は権威ある嘘つき」という話がおもしろかった。『フィクションは大いなる嘘です。そのことを忘れてはなりません。小説を書くとき、僕は出来るだけ上手に嘘をつかなくてはならない。〝偽のレンガで、真実の壁を築くこと〟、それが僕の仕事です。』